「僕ら」シリーズとして見るべきなのか?雑感

 

ラブライブ!サンシャイン!!TVアニメオフィシャルBOOK
 

 

長くなりそうなので結論から
私は「僕ら」のタイトル着目より「僕ら」であるμ'sと「君」であったAqoursが「君と僕ら」のスタンス変化に注目した。

これを語りたいだけです。
私の個人解釈なので好き勝手言ってます。こんな公式ソース一つもない記事信じるより8/30発売のアニメオフィシャルブックをあてにしてください。


・どうでもいい記事作成経緯
観測範囲が全く広くないし他人のAqours観に程々にしか触れてきてないから何とも言えないけれど「僕ら」ってタイトルが付いてる、エモい!とすかさず飛びついている私のリア友は他人のやっていることだしまあ好き勝手すれば良いとは頭では理解していても私も譲れないものがあるにはあるので自分に向けて今1度確認作業で記事執筆している。


・未来の僕らは知ってるよ
今回発表されたアニメ2期OP「 未来の僕らは知ってるよ」
「僕ら」シリーズとかいうもの(これも定義が他人によりけりなんだろうが)でのみに注目してもしょうがないと思っているしアニメ13話をどうとっているのか、言ってしまえば「Aqours」というスクールアイドルのアイデンティティをどんな風に感じているのかで人によりけりだからこそ今回のズレを思っているわけだ。

Aqoursアイデンティティはどうやって浮き彫りにすれば良いのか? これは簡単だ。
μ'sのアイデンティティとで構造を対比し見抜けばいい。
スクールアイドルとしてのアニメ映像作品で発表されたのはμ'sとAqoursのみ。
地続きの作品だからこその先行するテクストが存在し、作品理解には前作を用いるのは妥当であるはずのものだからだ。


・μ'sのアイデンティティ
μ'sはその名の通り「9人の女神」。アニメ版の彼女達は概ね9人で何かを決めるし、結成も解散も9人で決めている。「SUNNY DAY SONG」など紆余曲折、他を引き込みはすれど劇場版ラストシーンの解散ライブは9人であることにこだわり続けた。
彼女達は9人の物語で完結しておりそれこそがμ'sの作り出した構造である。彼女達のライブのナンバーコールにファン側が「10!」と叫ぶことに嫌悪感を抱いている層が居たのはこういった背景に起因することが挙げられるのではなかろうか。


Aqoursアイデンティティ
一方Aqoursはどういった構造をしているのか?「水+ours」という造語は周知の通りだがもう少し掘り下げる。

一つ目、「水」は海の近くで生きる彼女達の物語を表している。アニメでも海が映るシーンは大変多い。


二つ目、「ours」、他の人間が実態や画面に映るものをどう感じているのかはともかく、みんなのものであること、Aqoursは9人だけではなく多くの他者によって構成していくことが分かるはずであるしそういったムーヴを公式サイドから幾らでも読み取ることが出来るはずだ。
アニメ版13話にしろ「太陽を追いかけろ!」のナンバーコールの明らかな間の部分など「10」とファン側が言うことを肯定していることは確からしい筈だ。(申し訳ないが私は恥ずかしがり屋なチキンでとてもAqoursと並んで走れないといった妙で無根拠な遠慮があって「10」と言わないのだが他の方たちはもっと自信持って良いと思いますし言ってあげてください。キャストも喜ぶらしいです。)

この「内浦という地域で生み出されるお話と彼女達の存在の発信(沼津の広告ではない)」、「ファンをAqoursにする」が彼女達9人しか出来ないことである。13話で言わんとしていること、Aqoursアイデンティティなのだと勝手に思っている。


前者はG's版で色々廃校の話題持ち出して強調されているし、アニメ版6話はどういった話かとざっくり言うと「施設や自然といった目に見えるものだけを町として見るのではなく、そこに住む人々とが作り上げ、積み上げたものこそが町である」ことの気づきと発信が描かれている。13話ミュージカル部分、「彼女達のあの場所で確かにあった物語と発信」がこれに当たる。

ファンを何故Aqoursとしなければならないのか?これはアニメ11話「想いよ一つになれ」前部分で「輝きは1人で成るものではなく多くの人間によってこそ作り上げられる」と千歌の「輝く」ことがどういったことなのかが表されている。
13話4,5,6トリオはAqoursに入れて欲しいと言ってきても千歌は他8人と変わらず手を差し伸べる。「10」と外に言ってもらうことでファンにもAqoursの1部になって欲しいと伝えている。「MIRAI TICKET」を演じる中 燻る沼津から来た人たちに手を差し伸べるのもこの思想だからこそのはずだ。仮に手を差し伸べもせず突っぱねるなら「想いよ一つになれ」で提示されたこと、輝きは多くの人によってじゃなくなり嘘になってしまうのだ。


以上がμ'sとAqoursアイデンティティの違いだ。ラブライブ!シリーズはアイドルアニメとして見ると私としてはかなり歪な作り(むしろ青春ものである見向きが強い)であるがそれでも一応アイドルアニメの宿命たる「ファンとどう向き合うか?」がこのように作中で描かれていると勝手に思っている。

折角だしHPTの概念を使うなら
μ'sは9両の列車にファンたる乗客を乗せていく。
Aqoursはファンを10両目にしていく。
例えヘッタクソ。
個人的にどっちが良いも悪いもないって感じ。


・「未来の僕らは知ってるよ」と「勇気はどこに?君の胸に」

今回OPタイトルとEDタイトルが同時に発表されたのには何かしらの意図を感じずにはいられなかった。μ'sは最初からずっと「僕ら」であった。今回Aqoursには1stシングルからある「君」という他者への呼びかけの概念に「僕ら」の概念を突っ込んでいる。「僕ら」で語るより「僕らと君」のスタンスに私は目を向けたかった。
こんなにμ'sとAqoursは有り様が違うのにμ'sの文脈をどう使っていいのか分からないと正直感じている。
こういったことを誰かと語りたかったのだが残念ながら少ないながらいる私のリア友数人はちかりこの担当声優とキャラの相関関係を9割話すので壁殴りするしかなかった。
そして再放送の実況、特に13話は色々実況語りしたいのに私のtwitterでの文字入力速度が遅すぎる上に画面見られない、オフィシャルブックに載るストーリー解説で後出しで万が一自分の見解と合ってた!ヤッホイ!したくなかったのでこうやって記事を打ち込んでいる。

13話の構造なんてアニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」放映からもう一年だしもはや出尽くした話題だろうから今更な部分が多いんだろうけど⋯⋯

最後にこの記事お気づきのとおり公式ソースがない個人解釈なので真に受けないで下さい。
正解は8/30のオフィシャルブックでご確認を。
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